今日はクリスマスイブですので、街中は賑わった感じがありますし、有名なケーキ屋さんの前の道路は、どこも渋滞になってますよね?大分駅前も、少し前からこのように華やいでます。
こういう状態を見て「仏教国の日本がキリストの誕生を祝うのはおかしい」なんて言う人がいますが、私は「こういう事を楽しみに変換出来る民族は日本人位ではないか?」「物騒な事が次々に起こる世界の国々を平和にするには、日本人の行動様式を広めていく必要があるのではないか?」という気さえして来るのです。
私の実家も浄土真宗大谷派なので大晦日には除夜の鐘を突きにお寺へ行き、その後、お正月には宇佐神宮への初詣でを欠かしませんでした。別に、宗教を意識している訳ではないのですが、こういった事が当たり前化してました。
皆さんは、大分県は神仏習合発祥の地だという事をご存知でしょうか?
大分県北を中心に、平安時代の頃には八幡神の信仰が盛んだったのですが、一方で国東半島を中心に、六郷満山という仏教文化が栄えてました。
そしてまた天平時代には、院内の龍岩寺では「薬師如来・阿弥陀如来・不動明王」といった、どれも本尊になってもおかしくないような仏像を、楠の一木彫りで祀られてました。現在も野ざらしのままで、下の写真の様に綺麗な姿のまま残されているという木材に対する知識と仏像製作の技術力も、驚嘆すべきレベルだと思います。
こういう風土の中で育っていると、神仏習合が当たり前のように思えてしまうのですが、私がマレーシアで仕事をさせて頂いた際、イスラム教徒の多い国では、毎日の礼拝は欠かせない事なんだと知りました。工場内に礼拝場は不可欠ですし、金曜お昼の礼拝時には工場もストップし、メッカの方角に向かってお祈りをするのです。日本では決して見られない事です。そしてこういう事が、世界標準の様なんです。
日本人に特徴的な事ですが「決して他宗教を排斥しない」という行動様式があります。わざわざ改宗する事も無く、仏壇や神棚を同じ家の中に併設しているのです。
ここ数年、本来は平和に貢献すべき宗教の名の元に、大変な事件が起きていますが、日本ではそういった事は考えられないですよね?
日本人がクリスマスやハローウィンを自分達なりに作り替えて楽しんでる事を、世界の人々にもっと知って頂く努力をすべきではないかと思うのです。
その具体的な実例の一つとして、大分県内の様々な神仏習合の歴史や遺跡を知らしめる事は、広く見れば世界平和にも貢献するのではないかとさえ思えて来ます。
特に豊後は、キリシタンも多かった地域ですが、政治との関わりの中で弾圧されたという不幸な歴史もありました。しかし、他宗の神様・仏様も受け入れ、自分達なりの楽しみを創造するという事が、これからの世界平和・安定のためには必要なように感じます。
クリスマスの雰囲気の中、日本人、特に大分県人が世界に向けて考え方を輸出する事が必要なのではないかという事を考えさせられました。