古くからの歴史がある土地に行くと、興味深い地名に出会う事が度々あります。私が今、住んでいる場所は大分市「下郡(しもごおり)」という地名なのですが、その地名と周りの雰囲気に、何となく違和感があったんです。神輿が出るお祭りがあるし、長い歴史があるはずだと感じていたのですが、そもそも「下郡」があっても、「上郡」のような「〇郡」という地名が、付近に全く見当たらなかったのも不思議でした。しかし近所の神社にお参りして、その謎が解けました。
私は「下郡神社」と思っていたのですが、実は「霜凝神社」だったんです。
額束(がくつか)の部分をアップで見ますと、霜凝(しもごおり)と書かれてました。
下郡は、「郡(こおり)」という地域の下(しも)ではなく、大分川が近いので、冬は寒風で霜が凝(凍)っていたんだと思います。
境内にあった由緒を見ると、貞観11年(869年)の創建と書かれてました。これまで火災に遭ったりしたようですが、霜凝神社の歴史としては今年で1147年目を迎えた様です。
昔の通貨に当たるものは農産物だったと思いますので、農業に適した大分は、豊かな土地として早くから開けていたはずです。だから「豊(とよ)の国」である豊後国と呼ばれてました。
霜凝神社も、その中心地の一つとして、地域の人達から長く心の拠り所とされて来たんだと思われます。平成に入り、地域の方々の助力によって、復興工事が行われたようです。
色んな意味で時代を先取りして生き延びて来た神社らしく、手水舎にも自動水栓が採用されてました。長く生き延びていくには、古いものの中にも、新しいものも取り入れていかないといけないという事ですね。