私のこれまでの認識では、西洋医術発祥の地は長崎だと思っていたのですが、実は大分市内の、今の地名で言えば顕徳町2丁目付近だったようです。大分県庁に近い遊歩公園内に、その記念碑があるのを発見しました。
遠くて見えづらいと思いますので、アップで見ると、こうなってます。
西洋医術が伝わったのは、幕末の頃のシーボルトによるものではなく、戦国時代の大友宗麟の頃にポルトガルから来たアルメイダによってもたらされたようです。
大友宗麟に関しては、戦国武将としての才覚がどうであったか、色んな議論があるところですが、少なくとも医療に関しては先進的な考えを持っていたようです。歴史的な経緯から、西洋医術の日本国内での歴史は途絶えてしまうのですが、大友宗麟が大きな力を持つ事になっていたら、日本の医療の歴史も大きく変わっていただろうと思います。
顕徳町から金池町にかけて、大友宗麟の邸宅跡地の発掘が進んでいますので、私達が今まで想像もしていなかったような事績が発見されるかも知れません。大分県の先人は、日本全体を見渡してみても、相当に先進的な考えを持ってようです。