相撲界では「稀勢の里関の横綱昇進成るか」という話題がもてはやされてます。久しぶりに日本出身力士の横綱昇進を見たいという方も多いのですが、大分県人である私としては、郷土出身の大横綱:双葉山関についても、注目すべきではないかと思います。実は双葉山関、大分県宇佐市出身の力士なんです。
宇佐市といっても生家の場所は、中津市に近い、天津から今津に至る海岸線に沿った、宇佐の市街地から少し離れた場所にあります。
生家の内部も見学出来ます。
双葉山関と言えば、未だに破られていない『69連勝』が有名で、白鵬関も63連勝止まりですので、双葉山関の記録には至っていません。しかしながら、69連勝という勝利数だけで見るよりも「どれ位の期間、勝ち続けていたのか」という点から見ると、一年に2場所しかなかった当時では昭和11年1月から昭和14年1月まで3年間勝ち続けていたという最長勝利期間記録の方が、すごいのではないかと思うのです。
今の相撲界で、並ぶ者がいないほどの存在になった白鵬関でも、双葉山関を越えようとして「後の先」(相手の立ち会いを必ず受け、受けた時には相手の動きを読み切って、逆転して勝つ)を実践しようとしましたが「あまりに難しい」という事で、諦めたそうです。双葉山関は生涯、一度も「待った」をしなかったそうで、横綱の品格という言葉も、双葉山関の取り組み姿勢から生まれて来た言葉なのではないかと思います。
それだけ圧倒的な強さを誇っていた双葉山関ですが、実は右目が見えなかったという衝撃の事実が引退後に判明しました。しかし、その事を一切口にせず、取り組みでも全く悟られなかったそうです。むしろ「後の先」は、このハンディを克服するために生まれて来たものだったのではないかと言われています。
その双葉山関が、70連勝を目前に破れた際に口にした言葉は「我、未だ木鶏たりえず」という事だったそうです。
木鶏のように「無心の境地」に立つ事が、全てにおいて、最強の条件なのかも知れません。
次に、日本出身横綱になる人は、目先の対戦よりも、双葉山関の「無の境地」を学びとれる人かも知れません。郷土出身の偉人から学ぶべきものは、非常に大きいと思います。何の世界でも通用する普遍性を感じます。
双葉山関の生家に行くと、そういう事が感じ取れるのではないでしょうか。