早吸日女神社

2016年07月03日[更新]

「早吸日女神社」を正確に読める人は、地元以外にあまりいないのではないかと思いますが「はやすいひめじんじゃ」と読みます。この神社は、別府湾の南側先端に当たる佐賀関町(セキアジ・セキサバで有名な漁師の町)にある神社で、起源は神武天皇東征の頃という、由緒ある神社なんです。

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この辺りは今では豊予(ほうよ)海峡と呼ばれるのですが、古くは「早吸の瀬戸」と呼ばれていて、潮の流れが激しい場所だったようです。恐らく、神武天皇が日向に向かって攻め込んでいく時に、この難所を通り掛かって困っていた際、地元の人達が協力した事が起源に繋がっているのではないかと私は勝手に想像しています。正面のこの鳥居が目印です。

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この神社で、私が面白いなと思ったのは、拝殿の瓦です。下の写真が拝殿です。

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そして、屋根の軒先の瓦を良く見ると、浦島太郎

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竜宮城と思われる建物になっています。

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そして、豊予海峡の荒波も描かれているようです。

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神社だけでも面白いのですが、鳥居を正面に見て右側のすぐ近くに、宮司さんの家に当たる小野家住宅が文化財になっている様です。

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今でも住まれてますので内部は見れないのですが、行事に使用される部屋も、昔のまま残されているそうです。観光ガイドさんによる案内されている様子は見かけました。外から見ると、家の敷地内に、社(やしろ)があるようです。

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この近隣にトイレ工事をさせて頂いたお客様がいらっしゃるのですが、これからも工事をご依頼頂けるようになって来たら、色んなお話しが聞けるようになって来るのではないかと思います。佐賀関も、歴史のある町ですから、奥が深そうです。

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