私の頭の中では「縄文時代の遺跡は東日本が中心で、西日本は弥生時代からの文化」というイメージがあったのですが、大分市東部の横尾にも縄文時代の貝塚があったようです。現在工事中の現場近くで、標識を発見しました。それによると、紀元前7000年から紀元前4000年頃まで、3000年も続いた遺跡だそうですが、私が高校生だった頃まで教科書には出てなかったと記憶しています。
場所は、天神橋交差点付近の一帯で、今はこのような芝生の広場になっています。
ここは大野川に沿った地域で、川向うを眺めてみると、河岸段丘のような地形になっています。そして、この遺跡からは姫島の黒曜石が多数、出て来たそうなので、この辺りは地形的にも気候的にも、太古の昔から恵まれた地域だったようです。
大分県は、これまで歴史の教科書に登場する事があまりなかったのですが、姫島も古事記や日本書紀の国生み神話に登場しますし、豊の国と言われるように、有史以来、豊かな土地として知られていたようです。
普通にリフォーム工事で回っているだけでも、こういった史跡に出会えるのはワクワクするような楽しみです。歴史の表舞台にはあまり登場して来ませんでしたが、大分は奥が深いと感じますので、これからも色んな発見をしつつ、自分なりの解釈を深めていきたいと思います。