これから不定期ではありますが「歴史に学ぶ」というテーマで大分県内の史跡を解説させて頂きます。今日は、日出(ひじ)町の大神(おおが)にあります「回天神社」のご紹介です。
敗戦濃厚になった日本軍が特攻隊を組織した事は非常に有名ですが、あまり知られていないものの、特攻隊以上に過激な「人間魚雷」というものがあった事は、ご存知でしょうか?実際には、作戦の実行前に敗戦となったので、大神基地からの出撃はなかったようです(山口からはあったようです)が、大分県の大神がその訓練基地になっていたそうです。
下の写真辺りが、訓練場だったようです。
そして、ここに隣接した小高い丘の上に、回天神社はあります。
ここにはミニチュア版の模型が展示されています。
回天神社から丘を下ると、最近になって、このような実物大の模型が作成され、展示されるようになりました。
こういう解説も書かれてます。
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実際に見てみると、人が一人やっと入れるだけのスペースしかなく、これにたった一人で乗って敵方の艦船に体当たりするという、現代の我々からは考えられない作戦です。
「回天」という命名も、恐らく、この攻撃によって戦況を180度変えようという意図があったんだと思われます。特攻隊と同じく、こういう作戦を立てる人(参謀本部?)には自分が実行するとしたらという現場意識が、果たしてあったのでしょうか?単に勇ましそうな話しをするだけで、現場での臨場感が欠落していたのではないかと思われて仕方ありません。
組織が大きくなって来ると、現場の実態が本部まで正しく伝達されず希望的観測で物事が決められてしまう傾向にあります。それは人間が「耳の痛い話しは聞きたくない」という習性を併せ持っているからではないかと思われます。現代の我々から見ると、局所的な戦いでこういう作戦を実行しても戦況が変化する訳は無く、むしろ「不毛な戦いを続けるより、原爆を投下して降伏を早めさせよう」という口実を与えてしまったんだという解釈が出来ます。そして意図せぬ方向へ被害が拡大していく訳です。
この事は会社組織と全く同じで、常に顧客接点でどういう事が起きているのかという事を正確に把握し、顧客目線での正しい(効果的な)打ち手を講じ、それを見直し続けないと事態は益々悪化していくばかりとなってしまいます。組織が迷走して行き付くところまで落ちてしまうのは、こういう事ではないかと思います。
回天自体は、あってはならない歴史ではありますが、こういった負の歴史も直視し、現代に生きる上で「同じような失敗を繰り返さない」という教訓として学ぶべき点が多数ありますので、こういった史跡を保存して、自分達の問題として解釈し、語り継いでいく事も重要なのではないかと思います。